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2010年8月6日金曜日

さし絵画家をやめようかと思った

岩田専太郎は戦後間もなく「実はさし絵の仕事を、よそうかと思ったこともあった。戦時中のあまりに急テンポで変わる世情に、戸惑うからだった。『蛇姫様』その他、華麗な絵を描いて、ものの役に立たない絵かきのごとく扱われた口惜し さに、無理とはしりつつも兵隊の絵を描いて、戦争末期の昭和二十年には、陸軍報道部の命令で、『神風特攻隊吉出発』の絵を描いている。平然として死地にお もむく、青年たちの群像をである。戦争することの是非はともかく、あの青年たちの姿には胸を打たれずにはいられなかった。それが、戦争が終ると、またもと のような華麗な絵を描け、との注文である。どうすればいいのだ! とおもった。」(岩田専太郎『わが半生の記』)と、価値観の目まぐるしい変遷に付いていけず、止めてしまいたくなっていた苦しい胸のうちを記している。

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岩田専太郎:画、「浙東作戦」(『靖国之絵巻』昭和16年10月)

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岩田専太郎:画、「特攻隊内地基地を発信す(二)」(東京国立近代美術館蔵、昭和20年)

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