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2010年8月5日木曜日

川口松太郎と岩田専太郎がはじめてコラボレーションする「蛇姫様」だが…

大正10年、鏑木清方を崇拝する画家志望の石版印刷の下絵描きをしている岩田専太郎20歳と、鷗外の作風に夢をのせ舞姫や高瀬舟の文章は暗記しているという大勢新聞に勤める文学志望の川口松太郎22歳は、いつの間にか知り合いになり、飯屋のテーブルで「浅草公園のうしろの、大溝の前の飯屋の床几に腰を下し、飯と汁のどんぶりを前に並べて、『偉くなりたいなあ』と嘆き合うのが殆ど毎日であった。……『俺の小説が売れて、お前の画が挿画に使われればいいな』空想の最後はそんな現実に落ちてくる。」(川口松太郎『飯と汁』講談社、昭和35年)と、夢を語り合う仲だった。そんな二人が20年ほど後に、松太郎が執筆した新聞小説に、専太郎がさし絵を担当するという、二人の夢を実現し発表されたのが「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)だ。




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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)


山田宗睦は東京日日新聞に掲載された「蛇姫様」を見て「挿絵は岩田専太郎。 華麗な作風は、その後その華麗さによってときに嫌うこともあったけれど『蛇姫様』の挿絵は、たぶん専太郎一代の挿絵史の中でももっとも艶麗であった。流れ るような描線の艶冶さと、構図の卓抜なクローズ・アップ方式で、浮世絵を近代に再生させた傑作と言っていい。」(山田宗睦「情念のデザイン」、『名作挿絵 全集』第9巻、平凡社、1981年)
と絶賛した。


さらに「岩田(*専太郎)の一生からみて、東京日日新聞、川口松太郎と組んでの『蛇姫様』の挿絵は、まさにところをえた正念場で、一作一作に張りがあるのも当然である。東京日日新聞は岩田の勤めたところ、川口松太郎は岩田をひきたてプラトン社 に入社させたり、因縁浅からぬものがあった。苦労人の川口は、挿絵画家の苦労を思いやり、早目に連載の十回分を届けたという。岩田は『蛇姫様』の挿絵に じゅうぶん結構をねっては、流れるような華麗な作をうみだしていったのであろう。」(「情念のデザイン」)と、松太郎の思いやりと専太郎との息の合ったコ ンビの良さが素晴らしい絵を作り上げた、と指摘している。

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

この好評ぶりを専太郎は必ずしも喜んでばかりはいられなかった。
「三十代も後期にはいるころから、のんきなことも、いっていられなくなった。五・一五事件二・二六事件と、 世相は急テンポで変わりはじめた。それなのに私は、川口の『蛇姫様』のさし絵を受け持って、浮世絵風の華麗な絵を描いた。世の中がどうなろうと娯楽は娯楽 だと、考えたような気もするが、はっきりした意思を持たない私だから、あてにはならない。『蛇姫様』のさし絵は好評だった。しだいに華麗なものの消されて ゆく世情の中で、それに逆行するようなきれいさが、受けたのだとおもう。だが、やがて、“映画は国策にそわざるべからず”という、映画法の公布される国情 の中だから、当局の一部には、華麗な画風を否定する動きもあったのだろう。」(岩田専太郎『わが半生の記』家の光協会、昭和47年)と、日に日に戦争へ向けて時局が悪化する中、専太郎のような画風は華麗さゆえに排除される情勢にあった。

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

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岩田専太郎:画、川口松太郎「蛇姫様」(東京日日・大阪毎日新聞、昭和14〜15年)

これ等のさし絵を見てもわかるように、間もなく40歳を迎える、技術的にも肉体的にも最も油ののった時期に絵を描くことが出来なくなってしまう。

「ある日、文藝春秋社 の雑誌『オール読物』の編集長、香西昇君が、たずねてきた。玄関で、彼の気の毒そうな顔色をみただけで、何もきかないうちに、その用向きがわかった。まっ 正直な香西君なのである。『オール読物』の表紙の仕事は、私が、かなり力をいれて描いていたものだった。が、それを、他の人に替えるというのが、訪問の目 的だった。」(『わが半生の記』)

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